赤ペンPの添削日記
由無し事を徒然に書き連ねる日記。
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realとreality
シラカワPの作品を見た直後に、作業の手を止めて話をしてた、
と前回書きましたが、実はお相手は、当のシラカワPご本人でした。
さすがにあそこまで長くて重い言葉ではありませんでしたが、
前回のエントリのような話をした後で、最後に一言付け加えてました。

自分がこういう事をやるんなら、
"actor"って言葉は絶対使わないと思います。


もちろん誤字や単語の選択の話ではありません。
多分シラカワPには、そして同じようなスタンスの
プロデューサーの方には、この一言が絶対に必要で、
逆に私にとっては、絶対にあっちゃいけない一言。

その辺の話のような、そうでないような。


これは卓球Pのラジオにお邪魔した時にも話した事なんですが。

あずささんは20歳です。そして本来であるならば、
20歳の人間を"創る"ためには、単純に20年の歳月が必要。
最年少の亜美真美ですら、12年かかるわけです。

でも、アイドルマスターはゲームです。どんな大作であっても、
ゲームの開発期間は長くて数年がいいところ。
だから我々が見ているアイドルたちは、どれだけ生き生きと、
リアルに動いていたとしても、その総体としてはそこかしこに
「足りない部分」がたくさんある存在なのだと思います。

まぁ実務的な面から、20年もかけてゲームを作ってられるはずもなく、
結果「足りない部分」があったとしても、ゲームの中で語られる部分、
我々に見える部分がちゃんとしていれば、基本的にはOKなわけです。

例えばアイマスで言えば、1年間という限られた時間、
トップアイドルを目指すというシチュエーション。
その中で語られるであろう部分が成立するために必要な
要素を、12年なり20年の時間の中から抽出すればいい。
後は、キャラのプロフィール設定のように、ゲームの中では
必ずしも語られない部分を外側に置いておけば格好はつく。

こうやって、"リアリティ"のあるキャラクターが模索される。
ただし様々な意味で、それは"リアル"ではない。
そして、リアルであることは必ずしもリアリティを増すための
助けになるわけではないし、リアルじゃなくてもリアリティを
感じさせることは可能である。

何が言いたいかわからないって?うん、私もこれだけだと
今ひとつわかりづらいので、こんな例を出してみましょう。

昔々、「スーパーリアルベースボール」というゲームがありました。
文字通りリアルを追求するために、選手名は全て実名、操作方法も
リアルである事に拘っているのが事が売りでした。
その結果どういう事になったのか。

サードゴロを取ってファーストに投げる、というプレイの場合、
普通の野球ゲームなら
○ボールの方向にサードの選手を動かしてキャッチ
○ボタンを押してファーストに送球、ファーストがキャッチ

となるのが一般的でしょう。ボタン操作は1回。

ところがこのゲームは、
○ボールの場所に選手を動かしたら、ボールを取る動作として
 タイミングよくボタンを押す
○今度はファーストにボールを投げる動作として
 もう一回ボタンを押す

そして、
○飛んできたボールをファーストが取る動作のために
 さらにタイミングを合わせてボタンを押す

という手順を要求されます。都合3回のボタン操作を
ひとつでも忘れたら、エラーになったりアウトを取り損ねたり。

このゲームの評価に関しては推して知るべし、です。
確かに実際の野球ではそれだけのアクションが発生するから
その回数だけボタンを押させるのはリアルに近いのでしょうが、
その結果、野球ゲームとしてのリアリティは失った。

そうなんですよね。"野球"と"野球のゲーム"は別物だから、
同じリアルの概念を共有しているわけじゃなかったんですよね。

動画を作ってる人は、基本的に欲張りです。
ゲームの中の曲だけじゃ物足りない。
あのステージだけじゃ物足りない。
目に見えている以上の奥深い話や内面が見たい。
この世界にアイドルたちを登場させたい。
もっと、もっと、もっと。
発露の度合いは様々だけど、そういう衝動で動いている人。

その衝動の基準となるものが、それぞれバラバラだから
ニコマスはいろんなものが溢れかえっている。
当然意見の相違もあるでしょう。ある人にとっての
リアリティを追求した結果、それは別の人にとって
荒唐無稽な、下手をしたら不快感すら感じさせるものになる。

事前にそれがわかっていたら、今度は作る人の中で様々な葛藤が
生まれることがある。そして「作りたい」というプリミティヴな
衝動が勝った場合、そういう作品がひょっこり現れて、
いろんな話に発展していく。敢えて具体例は挙げませんが、
ニコマスの中でもそういう話はそこかしこにたくさんあるわけです。

みんながその感覚を共有できるのなら話はカンタンなんだけど、
そんな事は普通はありえない。というか、そこにいる全員が
恒常的にまるっきり同じ価値観を共有してる世界なんて、
あまりに内向きすぎて居心地が悪いんじゃないかな。
(一時的になら良くあるし、居心地もいい事が多いけれど)

つまりはそのさじ加減、リアルとリアリティの狭間の
どの辺りに自分がいるのか、自分で作り、他の人の作品に
触れる事で、それを確認しながら彷徨っているんでしょう。

なんだかよくわからんまとめになりそうなので、
少々強引に最初の地点へ話を戻そう。
あずさ派である赤ペンPにとって特別な動画というのがあります。

ひとつは言うまでもなくRidgerPの「太陽のあずさ」。
これはもうOne and Onlyもいいところで、今後どんな素晴らしい作品が
出てきたとしてもその場所を譲る事はない、そういう存在。
そしてorgonePの「LIFE」。
これも私が動画を作るキッカケという点において唯一無二、
変えたくても変えられない(そのつもりもない)存在です。

以上の2作は特別な動画の中でもさらに別格なんですが、
それとは違う意味で、やはり特別な存在があるわけです。

それまでは、その場所には1作しかありませんでした。
以前「○○さん一選」企画の際にご紹介した、カクテル3における
きはるPの作品。
そして今回、このシラカワPの作品が、
そこに加わる事になりました。

この二つの作品に共通して流れるものを感じ取っていただけると
私が言わんとしている事がわかってもらえるかなーと思うんですが、
きっとこの2作のような方向性って、私がやるとしたらそのタイミングは
1回しかない
と思うんです。すなわちそれはこの界隈から身を引くとき。
あるいは、最後に作るあずささんの動画のときかもしれない。

だから"actor"なんて言葉は使いませんよ。ええ使いませんとも。
やるんなら本気で行きますよ。
そうじゃなきゃ意味がない。
赤ペンPの中における三浦あずさの持つリアリティ
そういう位置づけにあり、シラカワPのそれとは違う。
泣きもしなけりゃ作業も続ける、その根底にあるのは、その想い。
そういう事なんですよね。ああ、これでもわかりにくいかな。

まぁいいや。何にしても、誕生祭前にそういう事を再確認できたのは
自分にとっては非常にありがたかったです。
そんな話の流れを受けて、本来単独で書こうとしていた事を
次回のエントリにて。最悪や自分(苦笑)。
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Author:赤ペンP
都内某所に潜伏し、ひっそりアイマスMADを製作中。表向きはうだつの上がらないサラリーマン。人生のモットーは、なだらかに昇りなだらかに落ちる放物線。

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