赤ペンPの添削日記
由無し事を徒然に書き連ねる日記。
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Perspective-01
まるで別の場所で話題に出た二つの話題をキッカケに、続き物のエントリを書いてみる。
それぞれのキッカケを書いてしまうと特定余裕な状況になるので、このブログらしく
曖昧な表現に終始するのは仕様という事でご容赦ください。

それは「人や物を褒める」話であり、「立ち位置」の話であり、「切り口」の話であり。
褒め下手を自認する私の頭の中身の話ですね。

唐突ですが、一枚の写真について考察する、ってなシチュエーションを考えましょう。
あまりに専門的な話はわからないわけですが、こんな切り口があるのかなと。


まずは使っているカメラというか、レンズ。一眼レフの話で恐縮です。
一眼レフは用途に応じて様々なレンズを付け替えます。
同じ倍率でも明るさの違いがあったり、望遠拡大の幅も違ってたり。
レンズが違えば、ファインダーの中に広がる光景が変わり、撮れる写真も変わる。

何を撮ったのか、ってのもありますよね。人物を撮るならば、それが身近な人なのか、
有名人なのか、あるいはまるで知らない人なのか。性別、体格、国籍、その他諸々。
一人なのか二人なのか、動いているのか止まっているのか。

どう撮ったのか、という切り口は、文字通りhow to的な意味では相当に幅が広い話に
なってしまいますから、例えとしてはあまりよくないんですけど。
例えば富士山というわかりやすい被写体を撮影する時に、新幹線の中から撮るのか、
富士五湖を入れ込むのか、樹海の向こうにそびえる富士山を撮るのか、
初日の出の中のシルエットを撮るのか。
人物を撮影するなら、引いて全身を入れるのか、寄って表情を強調するのか。
撮影場所とかカメラを構える姿勢にはじまり、設定的な話で言うと、
シャッタースピードや、画角、被写体深度。上げたらキリがない要素ですね。

その他にも様々な要素があり、それぞれの要素の強い弱いがあり、
取捨選択が色々なされた結果として、写真が1枚、提示される。
そう考えると、1枚の写真の捉え方ってなかなかに難しいのかな。

写したい物に合わせてレンズを選択したのか、レンズなんて関係無く写したい物を
写してしまったのか、あるいはレンズの特性を最大限に生かせる被写体を探したのか、
その画角は考えたものなのか、何かしらの制限があったのか、単に楽な格好だったのか、
被写体を知らせるための写真なのか、被写体によって象徴させる何かを伝えるための
写真なのか、そういった趣旨が対外的なベクトルを持つものなのか、撮影した人だけに
意味があるものなのか、あるいはそれはただの習作なのかもしれない。

・・・となると。
例えば、魚眼レンズのような特殊なレンズを敢えて使って撮影した写真に対して
「これじゃ被写体がちゃんと写ってないじゃん!」
というツッコミを入れる事はそもそも無意味だし、何を撮影するでもなく、
リラックスしてシャッターを切ってみた写真に対して
「おー!被写体の魅力を最大限に引き出した考え抜かれた構図!!」
という褒められ方をしても、どうしていいかわからなくなってしまう。

有名人を写した写真は、好き嫌いはあっても一般的な意味での価値はそこそこあるだろうし、
自分の家族を写した写真は、恐らく他人にとっての価値は低い(あるいは皆無)一方で
自分にとってはどんな有名人の写真よりも意味や価値を持つものになる。

動画もまた然り。そう思います。
そうだな、例えば伊織をメインに据えた動画を考えてみてください。
インターネットラジオではコメントありがとうございました>えびP
・・・ここであずささんを持ってこないあたり、かなり狡猾で卑怯な気がする(笑)。
(相応の理由はあるんですが、それは置いといて。誰を例に出しても趣旨は同じです)

伊織を「被写体」として考えて動画を作る場合は、手法は色々あるだろうけど、
当然伊織は原則として真ん中に来るだろうし、ストーリーにフォーカスした場合でも
それはやっぱり伊織のストーリーに沿うか、それを前提に広げていくかっていう
選択肢になるでしょう。そしてそれは見る側にもちゃんと伝わるだろうと。

一方で、伊織を「レンズ」として捉えたとして。凸って言うな。
例えばごくありふれた家族連れの姿を、伊織の視点から見た動画、なんてどうでしょう。
これは極論、伊織が一度も画面に出なくても一応成立する、と思う。
それどころかこの場合、レンズが「水瀬伊織」である必要は必ずしもなくって、
いわば「水瀬伊織的なもの」であれば、それなりに似た風景を写すでしょう。

後者が「伊織がいなくても成立する動画」というコンセプトで作られている場合、
「伊織がいねーじゃねーか!」というツッコミは無意味だし、
被写体としての伊織を徹底的に追及して作り上げられた前者のような作品に対して
「伊織がいるだけじゃね?」なんて発言は本末転倒も甚だしい。

もっと言えば、「たまたま伊織だった」という動画だってあるかもしれない。
そこに映っているのが春香でも千早でも、実はそこには大きな意味などなくて、
カメラを構え、ファインダーを覗いている人の姿に意味がある、みたいな。

ここまで来るとさすがに話は複雑で、とても普通の評価なんてできるもんじゃない。
写真を撮る人=作っている人の事を知っているか知らないかでも話は変わるだろうし、
「伊織の動画」として評価はできなくても「動画」として評価できるものかもしれないし。
いわゆる「アイマスである必要なくね?」的な論議ですな。

この話は輪をかけてややこしいし本稿の趣旨とは若干異なるので割愛。ただ、
「その作品そのものがアイマスである必要」はなかったとしても、
「その作品に至るまでにアイマスが必要」って事は当然あるでしょうね。
ついでに、それはP名という「それだけでアイマスを強く想起させる記号」
あるが故の論議、なのでしょうが。

作品の「評価」って、何なんだろうね。単純に数字で計れる評価もあるし、
「こういう人に評価してもらいたい」(あるいは「この人」とかね)という軸で
考えれば、数字の大小じゃなくて質が問題になるんだろうし。
どっちにしても答えなんて簡単には出ないし、何かひとつに決まるわけでもなし。
・・・そんな事を考えてるから私は褒めるのがヘタクソなんだ(苦笑)。

でも、少なくとも作り手としては、なるべくそのコンセプトはハッキリ持っていたいなぁ。
自分の作品がどんな評価を受けるのかをコントロールする事はできないのだから、
こちら側の明確な回答はあらかじめ準備しておくべきかな、とは思います。
それを主張するのか黙っているのかは、ともかくとして。

長いけど、続き物のエントリなんで明日に続く。
この記事に対するコメント

いかん、文章を読みながら焦らされてるように感じてるのに、なぜかニヤニヤしてしまう自分がいるwww

紹介系blogなんてものをやってる自分も、遠からず考えたことがあるような>製作者以外の他者が、作品の意図を考察することに意味があるのかどうか、また意味を持つのか?

…まあ結局やってるわけですがw
ありがたいことに、それを喜んでくれるPさんもいますし。
それがお互いにとって建設的なものとなるべく作品を紹介するように、これからも自戒が必要ですねぇ。

どういう話になるのか…明日の続き楽しみにしてまっす。
【2008/08/08 03:35】 URL | grossa #GUQc0Tts [ 編集]


伊織のおでこがレンズ だけ読んだ。
【2008/08/08 09:58】 URL | メイ #- [ 編集]


> grossaさん
ああ、脈絡がないのが持ち味なんであまり続きには期待しないように(笑)。
ま、結局正解はないんですよ。作ってる側が自分でそれを求めたところで
それに応えなきゃいけない義理があるわけでもなし。
ま、ちゃんとキャッチボールが出来るのなら御の字でしょうってくらいの
感覚でいいんじゃないかなって思うんですけどね。

> メイP
(`・ω・´)
【2008/08/09 00:01】 URL | 赤ペン #Td/ILGRk [ 編集]


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Author:赤ペンP
都内某所に潜伏し、ひっそりアイマスMADを製作中。表向きはうだつの上がらないサラリーマン。人生のモットーは、なだらかに昇りなだらかに落ちる放物線。

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