赤ペンPの添削日記
由無し事を徒然に書き連ねる日記。
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「らしさ」という事。
タイトルの内容を、例え話だけで押し切ってみるテスト。



「落語とは、未来永劫変わることのない人間の業の肯定である」
敬愛する立川談志師匠の言葉であります。

バカバカしいくらい当たり前の話ですが、落語が生まれた時代を考えれば、
そこに出てくる言葉や風習、もうちょっと大仰に言えば世界観ってのは、
現代のそれとは確実に違うわけです。
そして今と、10年前と、30年前とでは、その「違い方」も異なるわけです。

でも、落語は生き残り続けています。それは伝統芸能としての側面がある事も
確かでしょうが、そもそも落語に生き残るだけの体力があるのだと考える方が
自然でしょう。で、その要因を説明するのが、冒頭の言葉。

湯屋の番台に上れば、ついつい女湯の様子が気になるのが男の心情であり、
仲間内での会話の話題につい逆らったり内容を逆手にとりたくなるのが人の心情であり、
大金を拾っていい気になりそうな旦那を何とかしたいと思うのが奥さんの心情であり、
「ん」の数だけ田楽が食えるならやたらと無理な文章を考えてみるのが人の心情であり、

そういう心持ってのは、時代が変わっても基本的には変わらんのだと。つまりはそういう事。
落語が持つ空気は、人の根底を変わらず流れ続ける、人間らしさの上に成立するもの。
故にそれを"業"と呼び、噺にして肯定してあげる事で、時代を問わず通ずるものがあると。

例えば、「ロミオとジュリエット」「ウェストサイド物語」になってみたり。
「七人の侍」「荒野の七人」になってみたり。
その根底に流れているものが、変わらぬ人のありように根ざしていれば、
例え時代や設定や国が変わっても、どんな時代になっても、きっと同じように人に伝わる。

あるいはこんなのもある。
原文は忘れちゃったんだけど、漢詩に役人のことを嘆いた詩があります。曰く、
「役人は言うことは偉そうなのに仕事は遅いしあれこれ言い訳をしたがる。何とかならんもんか」
現代に置き換えてもそのまんま通用する内容ですな。

話を一気に小さくして、自分のことを考える。
その時その時で状況も違えば興味も違うし時代も違うけど、
後で振り返るときに「あー確かにこれは俺がやりそうなことだ」って
思えるようなことを、常にしていたいと思うわけです。

仕事でも、趣味でも。

そしてどんな形であれ、それを肯定してあげたい。
今にして思えば頭を抱えそうな事だって、
「いやー若気の至りだねぇ」なんて茶でも飲みながら話せたら
それはそれで意味があるし、ステキな事なんじゃないかと思う。

人が集まってワイワイやるのが好きです。
何故好きなのか理由はたくさんあるんだけど、ひとつ間違いないのは。

そうやって、年を取ったら縁側で茶飲み話を聞いてくれるような、
こいつの茶飲み話なら聞いてもいいかなって思えるような、
そういう人との出逢いが、どこであるかわからないから。
そんな人なかなか見つかるもんじゃない、ってわかっていても、
飛び込んでいかなきゃ始まらないもん。買わない宝くじは永遠に当たらないんだって。

まぁ、動画製作のときでも、仕事をしているときでも、時折フラリとそんな事をたまに考えたりするわけです。
与太話にお付き合い頂き恐縮です。落語的に下げがなくてスマン
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Author:赤ペンP
都内某所に潜伏し、ひっそりアイマスMADを製作中。表向きはうだつの上がらないサラリーマン。人生のモットーは、なだらかに昇りなだらかに落ちる放物線。

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