赤ペンPの添削日記
由無し事を徒然に書き連ねる日記。
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劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン感想戦の場外乱闘(その2)
その1を踏まえた上で本題。まさかとは思うけど
読んでない人はいないね?いいね?(笑)

実は前述の某部長も出ていた生放送の感想戦の中で、
「ギルベルトの物語」というワードがありまして。

なんせ赤ペンは原作を知らずアニメしか見てないので、
「ギルベルトが生きている」という発想は全くなかったわけですが、
このワードを踏まえて改めて劇場版についてちょっと考えてみると、
それはそれで面白い切り口になるんじゃないかなと思ったわけです。
今回の文章はそんな感じの内容。

ヴァイオレットとギルベルトが再び巡り合う、という形で
この物語が終わるという前提で考えた時、劇場版を見た人が
ヴァイオレットを祝福するというのは当然の帰結です。
主人公である彼女の目を通してこの作品世界を巡ってきたんだから。

ところが赤ペン、外伝から入って劇場版を見る直前に
一気にこのアニメを履修した、いわば一夜漬けの状態でした。
だからふと、こんな事を考えたわけさ。

ヴァイオレットに向けた祝福の言葉を、同じだけの想いを込めて、
ギルベルトに対して向けることができるのだろうか
、と。
二人が巡り合う物語への祝福の言葉は、多少の偏りはあっても
当然二人に等しく降り注いでしかるべきじゃない?

以下、原作を読んでない人間の感想なので
事実誤認とか勘違いがたぶんあるはずなんで、
そこはご了承くださいませ。


劇場版におけるギルベルトを言い表すのにたいへん適した
昔ながらの表現があるよなぁと思ってて。

「生き恥を晒す」

まぁ洋の東西を問わず軍人さんのエピソードには
よくついて回る言葉ですわな。
実際には人里離れた孤島で生活してるんだから
晒してすらいないわけなんだけど。

アニメ版ではここに至るまで、ギルベルトはどこまで行っても
回想シーンの中に出てくるだけの存在でした。
そのほとんどがヴァイオレット絡みのシーンであり、なんなら
多少尺が違うだけの同じ場面ばかりが出てくるし、
戦争の中で命を落とした(と思われていた)シーンを最後に語られていない。

物語の登場人物たちのギルベルトへの想いはさて置いて、
赤ペンにとってこの人は、主にヴァイオレットを介して
間接的に知っている「過去の人」でしかありません。

多分その辺が「この畳み方かよ」って思った大きな要因の一つだと思います。
つまり、ギルベルトの登場が(原作を知らない赤ペンにとって)唐突過ぎて
この人になんの思い入れもできないままエンディングまで行っちゃったと。
ヴァイオレットにはテレビ版も含めて相応に思い入れを持てるだけの
描写なり物語なりがあったのに比して、あまりにそういう要素が少ない。

人物ではなく物語を優先して、空気を読まず残酷な言い方をしてしまえば、
あそこで死んでいればギルベルトは親しかった人の思い出の中で
美しく生き続けることができたわけですし、そもそもその想いを原動力にして
ここまでのヴァイオレットの物語が繰り広げられてきたわけです。
それがある意味、最後の最後でひっくり返っちゃう。

そりゃここに至るまで何もなかったわけじゃない事は想像に難くないけど、
やっぱそれは形にして見せて欲しいよなぁって思うんです。
じゃないと、巡り合った二人に対して同じ祝福の言葉は掛けづらい。

前回書いた通り、生放送の最中にコメントで、原作では割と早い段階で
ギルベルトが生きている事が明示されているという事を知りました。

原作のどのあたりで登場しているのかがわからないので
勘違いだったら申し訳ないんだけど、そりゃそうするべきだよなと。
ヴァイオレットとギルベルトが再び巡り合うのがこの物語の着地点ならば、
ギルベルトについても相応に語ってちゃんとバランスを取りたいし、
そのための時間もそれなりに必要なんじゃないかって。

そして、だからこそ劇場版は数十年後の現在から過去を俯瞰する構成で、
ヴァイオレットとギルベルトの再開の場面がクライマックスになってて、
その後の事には一切言及せずに時間を再び「現在」に戻して、
「そんな話があったんだよ」という着地点、前回と同じ言葉を使えば
「御伽噺」の形でスパーンと終わってるんだと思います。
もちろん、これはこれで非常に美しい終わり方ではありましたが。

そのギルベルトは右手を失っています。
テレビ版で右目を撃たれたのは見たけど、手の事って描かれてたっけ?
まぁそれはともかくとして、この描写って見ようによっちゃ相当しんどい。
でもそのことを書くためにはまず、ギルベルトではなく
ヴァイオレットの両手の事について触れなければならない。

以下、完全に妄想だから事実誤認があったらゴメンナサイね。

あの義手が作品の中で様々な形でメタファーとして使われている事は
皆さんご承知の通りですが、作劇上の最大のポイントは、
あの義手が毎回登場するゲストキャラへの先制のカウンターパンチ
なっている点だと思います。

身も蓋もない言い方をすればさ、彼女に代筆を依頼する人の
結構な割合が、「自分はいま世界で一番不幸なんだ」みたいな
言動や態度を露骨に示したりするわけですよ(笑)。
そうやって自分の殻に閉じこもっている相手が、あの義手を見て
一瞬足を止めちゃう。ヴァイオレットも「戦争で失いました」と
ふつーの顔して語っちゃうもんだから、依頼者はますます踏み込めない。
相手の出足を止めておいて、そこから文章のやり取りを通じて
ヴァイオレットのペースで(=物語のシナリオ通りに)
話を転がしていく、そういう役割を持っているんだと思うんだけど。

その意味において、義手そのものは彼女の「自動手記人形」としての
人生における様々なものを象徴していて、一方で義手を付けている理由、
両手を失っている事実自体は彼女の「兵器としての過去」、あるいは
「兵器である時代に失ったもの、奪ったもの」の象徴。
手が無いことと義手をしている事は、それぞれに独立した意味がある。

昨年外伝を見終わった後、この作品について何も知らない赤ペンは
「この義手って、もしかして軍ご用達の品とかじゃねぇかな」
と仮説を立てました。この世界の雰囲気から考えると
明らかにオーバーテクノロジーで、他に誰もこれに類するレベルの
義手なり義足なりをしている様子もない。メンテも大変そうだしさ。
だとしたら、こんな精巧なシロモノを必要とする人なんて
昔から戦争屋さんと相場が決まっているわけで、ああなるほどだとしたら
ヴァイオレットも昔は人間兵器みたいな存在でだからあんな無表情で、
てな感じで話の辻褄が合うなと。我ながら筋のいい仮説でした(笑)。

テレビ版の12話から13話(その準備としての11話も含む)にかけての
エピソードでは、かつての自分を表に出さざるを得ない状況の中で
戦争を終わらせる使者を乗せた列車を救うために、
今の自分の象徴である義手を破壊しながら鉄橋に仕掛けられた爆弾を
取り外そうと試みるわけです。生身の腕じゃ物理的に無理なやり方で。

なんつーか、あの壊れた義手と一緒に、ヴァイオレットが
自身の過去と決別しているようなシーンにも見えたんですよ。
その後に義手を改めて身につける事で、正真正銘の
「自動手記人形」としての自分の人生を歩み始める、みたいな。

消えない過去や決して戻らない失われた様々なものと、
それでもなお前に進むために新たに与えられたもの。
両手を失っている事と、そこに義手がある事は、その両方が
存在する事を同時に象徴している。そんな風に赤ペンは捉えています。

……という事を踏まえて、ようやくギルベルトの話に戻る(笑)。
そうするとね、赤ペンはギルベルトの現在の状況については
「戦争で右手を失った」ではなくて、
「片腕しか失う事が出来なかった」という捉え方になる。
ヴァイオレットの両手に対して、という意味において。
そして義手の類もなく失ったままになっているのは、
「失ったものの穴埋めが全くされてない」という事の象徴で。

余談だけど、外伝の中でヴァイオレットの義手が肘の上あたりから
取り付けられている描写がありましたが、ギルベルトの右手は
どうも肩あたりから無くなってるみたいなので、たぶん
ヴァイオレットと同じような義手は無理なんじゃないかなぁ。
その辺SF系に詳しい人の解説求む。

閑話休題。そうなんすよー。
つまり劇場版だけ見てると、ギルベルトがただ自分の過去を悔いながら
何もせず人里離れた島で生きているだけの、ドラマチックな言い方をすれば
あの戦争で「事実上死んだまま」時間を止めちゃった人に見えちゃう。
そんな男に、中途半端な状態で待つことしかできなかった男に、
自動手記人形としての様々な経験を重ねながら、
ただただ愚直に「愛してる」という言葉を探し続けてきた
俺たちのヴァイオレットちゃんを獲られるのか!!と(苦笑)。
いや、まぁ、その、たぶんヴァイオレットはそれでもいいと思ってるというか
彼女にはそれ以外の選択肢はハナっから存在しないわけだけど。

テレビ版から始まり2つの劇場版に至るまでの間に語られなかった
ギルベルトの物語に思いを馳せるという楽しみ方はあるでしょうが、
でもやっぱり、この劇場版は100%ヴァイオレットの物語だと思うし、
そもそも物語のタイトルは「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」なんだし、
だからテレビ版を事前に見ておかないと全く楽しめないタイプの、
前回ご紹介した動画内での言葉を借りれば「ハイコンテクストな作品」、
「テレビ版を追いかけてきた人たちへのご褒美作品」かな、と思います。

何がどうって、今回書いてきた話の観点で考えちゃうと
ヴァイオレットとギルベルトの関係性を語るだけであれば
ユリス君のエピソードは全く機能していないんですよね。
「電話は悪人ではないですよ、技術は進歩しても本質は変わりませんよ」
というメッセージを示さなくても、ヴァイオレットにはちゃんと
その後の人生における着地点が用意されてたわけで。
あるいは泣かせるための舞台装置としてのイベント?
いやいやそれはさすがにちょっとなぁ、と思うわけさ。

ただし、繰り返し強調しておきますが、
長々と書いてきた話は「赤ペンの好みと違ってた理由」であって
この作品がダメだという事では断じてありません。
尋常じゃないレベルで突き詰められて作られている、
非常に良い作品だと思います。そこは誤解のなきようお願いしたいです。

でもって、ついでに書いておけば、生放送でも語った事ではありますが
そういう作品であっても赤ペンはこれも全然アリだと思っていて、
その理由が作品の外側に存在しているのだ、という点も相変わらずで、
だから引き続き、この作品の評価は「留保」しています。
多分この先もずっとそうなんじゃないかと思う。

現実がそうじゃないって事は、必要以上に俺らは思い知っているよ。
この時代、自分の体験だけじゃない、縁も所縁もない誰かの事まで含めて。
だからさ、物語の中くらいそういう説教臭いことを抜きにして
有り得ない事でも夢みたいなことでも、泣いたり笑ったりしながら
楽しんでいたいじゃん。

作品の考察とか感想なんて、仕事じゃなく趣味でやる分においては
正解も不正解もなければ勝ちも負けもないもんだと思うけど、
今回はなんかこう、ぐぅの音も出ない負けだなーと個人的には思ってます。
上手く説明できないけど、勝ち負けを論じるんであればそうなるかな。
評価を「留保」、って時点で正直まともな結論じゃないし(笑)。
なかなか体験できない、得体の知れない敗北感。

あとね、ここまでいろいろ考えて、書いたり喋ったりしたような
結論付けに落ち着いたところでふと思う事があるんだけどさ。

赤ペンがヴァイオレット・エヴァーガーデンの世界に触れていた時間って、
テレビ版と2本の映画を見ていた時間、まぁこうやって文章を書いたり
生放送をしてる時間まで無理やり入れても、トータルでほんの数日程度しか
ないわけですよ。それに比して中身は結構濃いわけで。

だから、あそこまでキレイに幕引きされちゃうと逆に気になる事が
結構多かったりする。今回書いたギルベルトの事もそうだけど、
例えば「50年に渡って毎年送られる手紙」って、ヴァイオレットが
職を辞した後は誰がどんな風に送っていたのか、なんならそれって
当初の想いが失われて極めて事務的に処理されちゃったんだろうかとか、
結局天文台の彼はヴァイオレットと星を見る機会はあったんだろうかとか、
テイラーが成長して配達員を志してCH郵便社を訪れた時に
もうヴァイオレットはいなくなっててどう思うんだろうかとか、
ああだから外伝ではむしろベネディクトに懐いてたのかとか、
結局アイリスはどういう身の振り方をしたのかしらとか、
ヴァイオレットがいたはずの場所にふと視線を向けてしまうホッジンスの
ある種の喪失感はどうやって埋め合わせがなされるのかとか、
挙げ始めたらキリがなくて。

その意味では、もうちょっとあの世界を見ていたかったのかもしれない。
あの終わり方がヴァイオレットにとってホントにキレイな着地点であり過ぎて、
それ以上の物語への言及を丁寧に封じてしまっているからこそ、
ギルベルトも含めたそれ以外の人々にとってはどうだったのかな、って。
冒頭がテレビ版10話の続きから入ってるだけに、なおさら。

売り言葉に買い言葉で始まったお付き合いですが、
いい体験ができたと思います。こんな事でもなければ
アニメを見る機会もすっかり無くなっちゃったからね。
という事で、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのお話はこれにておしまい。
さて次の作品はあるのかないのかどうなる事やら。
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Author:赤ペンP
都内某所に潜伏し、ひっそりアイマスMADを製作中。表向きはうだつの上がらないサラリーマン。人生のモットーは、なだらかに昇りなだらかに落ちる放物線。

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