最初に書いておかないと書きどころがなさそうなので。 この生放送、非常に面白かったです(笑)。 こういうノリの方が赤ペンの感覚には合うのかもね。
よく黒生とかで「誰と戦ってるかわからないシャドーボクシング」という 話を引き合いに出すんだけど、それを今この場で実践するならば。
「この件を引き合いに出して、彼らが原因でアイマスから離れて行った人を 揶揄する人がもしいたら、やめといた方がいいよ。みっともないから。」
こういう事ね(笑)。いや実際そう思ってはいるんだけどさ。
さて。 この放送を見ていると、当時ジュピターの動画にもれなく 「アイマスの敵リンク」なんてタグがついてた事が 遠い昔の話の・・・いや4年前だから昔でいいのか(笑)。 ともあれ、思えば竜宮小町や律ちゃんの話は色々と書いたけど、 ジュピターの事ってあんまり書いてなかったなー、と思って。
あの当時、ジュピターに関しては、否定もしない代わりに 受け入れもしていない、きわめてニュートラルな感情を抱いていました。 試みとしては面白いけど、ちゃんと消化できているかどうかを見ないと 何も言えないよね、くらいのちょっと醒めた感じで。
・・・ってな事を今書くと、恐らく手のひら返しの好例として 揶揄されちゃう事は目に見えてるんだけど(苦笑)、実際のところ 他の部分で腹立たしい事がたくさんあって、彼らの事を気にしてる余裕なんて 全然なかった、というのがホントのところではあるんですよね。
そこかしこで何度も話している事なんだけど、赤ペンはこの当時、 発表の「やり方」に随分と腹を立てていて、発表の「内容」については それほど物申してはいませんでしたので。そんなわけで、 せっかく生放送も行われた事だし、久々に何か書いてみましょうか。 ある意味、当時のアイマスに男性キャラを突っ込むあたりは バンナム及びアイマスチームのチャレンジャブルな姿勢の象徴でも あると思うし、そういう事ができる攻めの姿勢それ自体は 高く評価してもいいものだと思うんですよ。
ただまぁ、その、やり方が色々と、ね・・・(苦笑)。 我々の知りえない様々な事情がそこにはあったのでしょうが、 少なくともこの時は「こういう事をやりたい」という気持ちが 先走って、「これをユーザーがどう受け止めるか」という視点や 配慮が足りてなかった事は否めないと思います。
しかも、話はジュピターの件だけじゃなかったわけでね。 むしろ別のところに大きな火種がある中で、それと一緒に 発表されたら、一体何が起きるのか。
予想にたがわないどころか、想像を上回る規模でそれは起きて、 結局のところ彼らは不平不満をぶつける対象として祀り上げられて、 (それも一見さんが面白がって持ち上げてた部分もかなりあったでしょう) 発表直後のファミ通のインタビュー記事で3人が揃って以来、 辛うじてCDが1枚出ただけで、全員が揃う事はおろか、 アイマスのイベントに登場する事もありませんでした。
2010年の9月半ばから、2015年の1月半ばまで。 4年以上の長い長い時間を経ての、この生放送。 それだけの時間を待つ事ができたアイマスというコンテンツの ある種のしぶとさを痛感すると共に、それだけの時間を掛けなければ この状況を生み出せなかったという事実も、やはり痛感します。
それも、「長い時間を経て受け入れられるようになった」と言うよりは 「受け入れられない人が離れ、受け入れられない理由を持っていない人が増えた」 ってのが実情で、変化というよりは新陳代謝の結果ではあると思うんだけど、 それにしたってよくぞここまで、という話である事に変わりはないでしょう。
多分この動画を貼ったら、さっきの話と合わせて役満クラスの 揶揄対象になるんだろうけど、まぁ削除されてるからいいよね(笑)。
「可能性を生み出しただけでアウトなんだよ」というセリフ。 さすがにちょっと行き過ぎた言葉(及び解釈)ではあったと思うけど。
赤ペンはこんな風に考えています。
「可能性を生み出しただけではアウトなんだよ」 そして、 「可能性を生み出しただけだったからアウトだったんだよ」
これは竜宮小町の話もまったく同じ事だと思うんだけどさ。 「可能性」というのはポジティブなものもネガティブなものもあるわけで、 良くなる可能性も、悪くなる可能性も、全部ひっくるめて「可能性」なんだと。 当時は当然ネガティブなものだけをさしてこのセリフが機能してたわけだけど、 男性アイドルが入ったり、ライバルユニットが登場する事で広がっていく ポジティブな可能性だって、当然あったわけですよね。
その意味において、確かに様々な「可能性」が、そこにはあった。 それだけでアウトと判定するのはどう考えても気が早過ぎるし、 また同時に、セーフという判定だって下す事はできない。
でもその後、可能性のうちネガティブなものだけが活発に流布して、 ポジティブなものはまるで表に出ない状態になってしまった。 これは作り手よりもむしろ受け手の側の問題だったわけだけど。
そしてその状態が放置されたまま、時間が流れていった。 当時をご存知の方は、アイマス2のあの発表以降、公式の側からの ゲーム内容に関するアナウンスがパッタリと止まった事を覚えてらっしゃるでしょう。
でもって、とどめにゲーム本編のあの内容だったと。 ジュピター自身のキャラクター性はともかく、ゲームとしては 事前の悪評を覆すようなものだとはお世辞にも言えなかった。
ポジティブな可能性を実際に形にしつつ、受け手が抱いてしまう ネガティブな可能性を丁寧に潰していく必要があったのに、 結局どちらもされないまま、時間の流れが解決するに任せた。 去年も書いたけど、アニマスがなかったら、それを手掛けたのが あのスタッフじゃなかったら、ホントどうなっていた事やら。
思うんだけどね。 アイマス2及びあの騒動のところにひとつの「断絶」を見出す人は 多いんだろうけど、実のところその線引きが本当に明確になるのは、 アニマス放映のところなのかもしれないなぁ、なんて。 良くも悪くも、これが表面上のひび割れをキレイに埋めたんだろうし、 埋めてしまったのかな、と・・・いやまぁこの話はやめとこう(苦笑)。
閑話休題。その後時は流れて。 あの頃のバタバタがウソのように、今の公式側の動きは キチンと機能しているように感じます。 まぁ情報量が多過ぎるというある意味で大きな問題は抱えているけど(笑)、 見せるべきとこは見せる、隠すべきとこは隠す、動くべきタイミングで動く。 何より、随分とファンの方を向くようになった。 「自分たちがやりたい事」と「みんなが望んでいる事」の間にある 着地点を模索しようとしている感はあります。
そこにはいろんな理由や事情があるのでしょうが、 事実だけを見れば、あの頃のアイマスはそれができなかったし、 今のアイマスはそれができるようになった、って事なんでしょう。
そういった諸々のひとつの象徴が今回の生放送であり、 ジュピター役の3人が揃うことに対する評価だったって事かなぁ。
動かないと思っていた時計の針が動き始めた。 それをこの先どう動かしていくのか、というのは当然ながら 難しい話だけど、少なくともそれはきわめて現実的というか、 リアリティのある話、夢物語じゃあない。 ありきたりな言葉になっちゃうけど、「よくぞここまで」、ってヤツですね。
そんな感慨を思い起こしながらこの生放送を見たんだけど・・・ まぁ、そういう事はどうでもいいくらいに弾けてましたね(笑)。
演者の側にしろ視聴者の側にしろ、あの当時を知っている人の中には いろんな思いがあったのでしょうが、そういう空気が番組の中に ほとんど無かったのは、ホントに何よりの事だったと思います。 なかった事にはならないけど、それは過去の事。過去にするために 現在を積み重ねる、その一歩って感じ。
赤ペンはアイマス系のラジオ・生放送はどれも正直苦手なんですが、 これは普通に楽しめました。男子校出身のせいなのか、ああいうノリなら 全然大丈夫でしたね。またやんないかなぁ。
あ、多分CDは買うと思います。 昨年に劇場版関連のCDを買うまでは、2nd Visionにおいて 友人から借りずに自分で買ったCDがジュピターのCDだけだったんで(苦笑) 今回もその慣習(慣習なのか)に従おうかなと。でもこれ、 買ったあとどうしようかね・・・ダンスモーションもDLCで来てくれるんなら 動画も作れるんだけどね・・・(結局それか)。
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