赤ペンPの添削日記
由無し事を徒然に書き連ねる日記。
08 | 2023/09 | 10
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赤ペンPの動画レビュー番外編(その3)
さてゴジラですよ(笑)。
無駄に回りくどいたとえを出しているわけですので、
まぁ詳細はググってもらうとしてですね。

「ゴジラ対ビオランテ」という特撮映画があります。
ご覧の通りのゴジラ映画ですが、この作品において
ゴジラと対峙して渡り合う存在が2つありまして。

ひとつは「スーパーXⅡ」という超兵器。
この兵器の最大の武器は、機体の前面に展開される特殊ミラー。
これでゴジラが吐く熱線を跳ね返し、倍加してゴジラに食らわせる、
というコンセプトです。しかし想定外の高熱によってこのミラーが
溶けてしまい、仕方なく通常兵器で戦うけど歯が立たず、
あえなくゴジラの餌食となる(笑)。

もうひとつは、タイトルにもあるビオランテという怪獣。
細かい話は長くなるので割愛しますが、この怪獣は
ある事情があってバラの遺伝子にゴジラの細胞を掛け合わせる事で
生み出され、最終的にゴジラと向き合う事になります。
人間側がコントロールしていたわけではないので、
こちらは「武器」とは違うわけですが。

ゴジラとある程度以上に渡り合った、この両者には
明確な共通点がひとつ、あります。
どちらもゴジラ自身の力を利用したり、その力を
内包した存在である
、という事です。

それが無い通常の兵器では全く歯が立たない。
ゴジラとやり合えるのは唯一ゴジラ自身の力である、
という壮大な皮肉でもあったりするわけ。

実はゴジラの力と無縁の兵器でゴジラと互角に対峙しえたのって、
初代「ゴジラ」に出てくるオキシジェンデストロイヤーくらいかな?
昭和のゴジラはその後人類の味方になっちゃうし、
平成ゴジラはあまり詳しくないのでその辺は微妙ですが、
まぁメカゴジラとか作ってるから考え方は近いのかも。

ともあれ。
ああ、「3A07」はこれだな、と思っちゃったわけさ。
さてこれで話が読めた人はどのくらいいらっしゃる事やら(苦笑)。


「3A07」という作品は、主人公である三浦あずさの持ち歌、
「隣に・・・」という楽曲をモチーフにして展開される物語です。
当時の人間であれば、それを目にした時にイメージするのは
この作品と、それにまつわるエピソードですよね。

桃邪気P


あ、ケンカを売りにいったんだな。
その事は、「3A07」の視聴途中で気付きました。

「視聴者のコメントを受けて製作者が作品をブラッシュアップする、という
 きわめてニコニコ動画的なステップを何度か踏む事で最終的な完成に至った名作」


この動画には、そういう説明文と賞賛があれば十分だったはずです。
でも、動画を製作した桃邪気Pが亡くなられた事で、図らずも楽曲の内容と
酷似するシチュエーションが生まれ、それが新たな意味として全てを上書きして
この動画はアンタッチャブルな存在になってしまった。
無論、そこに一切の悪意はなかったにもかかわらず。

事情が事情なだけに、その事について言及しづらい空気が
長らく存在したわけですが、さすがにそろそろいいだろう、
と思って、昨年夏の「ニコマスとP」主催のあずさ派座談会
この話を持ち出すことにしました。
詳細はリンク先の記事をご参照下さい。長いけど。

実は座談会に参加するかどうか、さんざん迷ったんですよね。
出る以上はこの話をしないと意味が無いと思ったし、でもそうなると
「今」やる座談会としてはどうなんだろうとか、いろんな事を考えて。
当時を知る古参の思い出話にしかならないわけだしさ。

・・・まぁ結局1人で喋りまくったので、考えるだけ
無駄だったという話もあるんだけど(苦笑)。

あずさ派的に「3A07」ってどうなのよ、という質問は
当時よくされたんですが、実のところ問題の本質は
作品そのものじゃなく、むしろこっちの方にありました。
だから動画としてはなんの衒いもなく賞賛する事ができるし、
じゃあ何度も見ますかと問われたら、なんでそんな事を
しなきゃいけないんだよ、って回答をすることになる(笑)。

そしてその本質は、今はもっともっと語りづらい話になってしまった。
自分にもっともっと近い場所で、同じ事がありましたから。

なので、少し自分語りをします。2011年末、VRFに参加したときのお話。

私は竜宮小町の動画からやよいおりのストーリーを組んで
30分のステージを構成したんですが、当時の生放送中に
終始あずささんの登場を待ちわびている人のコメントがありました。
でもステージはずっとやよいおりのままで終わるわけです。

そうしたらね、ステージ後の幕間にこんなコメントがつきまして。
生放送ですから無論今は残っていないんだけど、当時の状況を
確認できる私的な場所があるので(笑)、ちょっと見てきました。

「RAPに喧嘩売るくらいの根性をみせてくれ」
「赤ペンさんならやれるだろう?」


いやはや、随分と見込まれたもんです(苦笑)。
まぁその事自体はありがたい話なのかもしれませんが、
残念ながらその発言は全否定せざるを得ない。

ケンカを売る相手が違うよ。
桃邪気Pやあの作品を取り巻く空気に対して
RAPさんがケンカを売りに行った作品目掛けて
横合いから殴りつけたってしょうがないじゃん?

さて、話を戻そう。というかそろそろ冒頭の
「ゴジラ対ビオランテ」を回収しないと(笑)。
でもまぁ、言いたい事は伝わったかな。

「隣に・・・」とそれにまつわる状況に対してケンカを売るために
使った武器が、同じ「隣に・・・」とそのシチュエーションだった、
という事は、無論必然です。それ以外に手段があろうはずもない。
でも結局、そこが「我々」の「限界」なのかな、とも思うんです。

今回の記事で一番不謹慎な事を書きましょう。
結局さ、最初から勝ち目はないんですよ。
どれだけ極限まで魂を削って作っても、
削りきって無くならなければ同じステージに立てないんだから。

結果として。あくまでも、"結果として"。

三浦あずさと「隣に・・・」という曲の結びつき、
そこに流れるストーリーライン、もっと言えば
このキャラクターのイメージに対する最後の決定打
この作品だったのかな、と感じています。

うん、「原因」ではないですよ、決して。
それはこの作品が単独で形成したものではなく、
それ以前から漠然と存在していたものであり、それが
この作品で現世に現れ出ずる為の依り代を得た、という話。

別の表現をすれば、「3A07」が引き金を引いたのだとして、
そこに至るまでに銃もあれば弾もあって、弾を銃に込めて
撃鉄を起こした状態まで準備はされてた、という感じかな。

個人的には、あの話がこうして依り代を得た事で、
目に見える場所に存在するようになって、
確かに落ち着いた面はあるのかな、と感じてます。

この考察が正しいのかどうか、正しかったとして
それがRAPさんの望んだ結果に沿うものだったのかどうか、
そもそもここまで書いてきた事が、「3A07」に対する
賞賛なのか批判なのか、肯定なのか否定なのか、
それに関しては自分でもわからないというか、
もはやどうでもいい(笑)。好きに解釈してくれ。

「3A07」という作品にまとわり付く"重さ"。
それはストーリーの内容や、そこに張り付いたエピソードだけが
その要因になっているのではないんだなぁ、と感じます。

あのね、見てて痛々しさすら覚えたんだ。
あずささんだったからじゃない。
こういう内容だったからじゃない。
なんだか、こう、「ガラスの仮面」が外れてしまったかのような、
ただの凄みではない、見てはいけないものを垣間見た時の、
なんとも言えない居心地の悪さがそうさせたとでも言おうか。
・・・だからそういう例えはやめなさいっての(苦笑)。

前回、「今のアイマスやニコマスからこれは生まれない」的な
話を書いたと思いますが、その根拠はここにもあります。

技術的、内容的、影響力といった話だけであれば、この域に届く作品、
もう少し広く「エンターテイメント」と称してもいいけれど、
そういうものは頻繁ではないにしろ現れると思います。
「3A07」にしたってそういう面でのクオリティが
高かったからこそ、ニコマスの外側に機能したわけです。
その部分は「目標」として「目指す事ができる」もの。

でも、この作品の本質は「あの時期のニコマス」に
根差し過ぎちゃっていると思うんです。
誤解を恐れずにそれを称するのであれば、恐らくは
「執念」とか「怨念」とか、そういう言葉を
用いるのが、もっとも適切なのかもしれません。

そんな感情、そう簡単に生まれたら困るでしょ?
目標にもならないし、目指すものでもない。

この動画だけがその原因ではないですし、
あずささんに限らず他のキャラクターも程度の差こそあれ
同じような道程を辿っているんですが、
765プロのアイドルとして最年長、かつ唯一の成人であり、
故に設定上の年齢の数値以上に大人である事を強調され、
他の誰よりも「母性」を託されたキャラクターの方向性は、
公式の動きとファンの補完との相乗効果によって、
こんな風に固まっていったような気がします。

この話も以前「週刊黒いテスト放送」の動画レビューでお話ししました。
前述の座談会では「オワコン」なんて単語も使いましたなぁ。
終わってしまった、つまりは「ひとつの完成形」に辿り着いてしまった。

その反動が、バッサリと髪を切ったアイマス2のあずささんなのかなと。
まぁこれは二次創作に携わる人間特有の身勝手な妄想だけどね。

さて、ゴジラの話はサクッと終わったので
わざわざ持ち出す必然があったかどうか微妙なところですが(笑)、
取り敢えず当時用意した二つの切り口についてはご紹介しました。

最後は、もうちょっと自分自身にまつわる話でまとめようと思います。
まとめようとは思ってます。意思はあります(笑)。
この記事に対するコメント

>実はゴジラの力と無縁の兵器でゴジラと互角に対峙しえたのって、初代「ゴジラ」に出てくるオキシジェンデストロイヤーくらいかな?

互角では無く、完全に力関係ではオキシジェン・デストロイヤーの方が上です。
ゴジラは核兵器や戦争の化身とも呼べる存在であるため、通常兵器ではまるで歯が立ちませんが、オキシジェン・デストロイヤーは核兵器をも超える禁断の兵器であり、初代ではゴジラは為す術も無く消滅させられてしまいました(この時、悪用を恐れた開発者も一緒に心中しましたね)。
何故存在しない超兵器でもってゴジラを葬ったのかというと、私達は架空の道具でしか核の脅威から逃れられないということ、強い力を持つ相手に勝つ為にはより強い力で圧倒する方法しか私達には分かっていないからです。
そしてその過ぎた力は、核以上の脅威となり、それを克服する為にはより強い力が必要になるという皮肉ですね。
【2014/05/13 01:11】 URL | No Name #- [ 編集]


> No Nameさん
確かにそうでした>力関係では上

私が最初に見たのが最初の「ゴジラ対メカゴジラ」で、そこから過去の映画に
遡る途中で初代ゴジラを見たので、子供心にビックリした覚えがあります。
そうそう、芹沢博士も一緒に心中しちゃうんですよね。怪獣映画というジャンルが
確立する前の映画なだけに、メッセージ性が強いというか、受け取れるものが
色々と多いなぁ、と今見返しても感じます。
【2014/05/14 22:51】 URL | 赤ペン #Td/ILGRk [ 編集]


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Author:赤ペンP
都内某所に潜伏し、ひっそりアイマスMADを製作中。表向きはうだつの上がらないサラリーマン。人生のモットーは、なだらかに昇りなだらかに落ちる放物線。

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