もうすっかり平常運転の日々になりましたなぁ。 あっという間に1月も後半戦です。
私個人の動きとしては、次の動画の仕込みをのんびりと やっているってところですが、なんたって今週末はもう 劇場版アイドルマスター公開が控えていて、さらに来月末の さいたまスーパーアリーナでのライブもすぐそこ。 それが終わるまでの間はこの界隈もいろいろバタバタするのかなぁ。
さて、実は例の話題のアニメを見た感想を書こうかなと 思ってたんだけど、なんか「書いたら負けだな」みたいな事を 感じて躊躇しているうちに、すっかり旬を逃した(笑)。 どうせ短くまとまらないし、内容も進んでいるから、中途半端に 書くくらいなら黙って最後まで見といた方がいい気もするし。
って事で、そこで考えた事をキッカケにした話を書こうかなと。 「目的」と「手段」が逆転するとマズいよね、みたいな事は 割とよく見聞します。目的を達成するために選択したはずの手段が、 気が付けばその手段を用いる事そのものが目的になっちゃう、みたいな。
例えば動画を作る時に、エフェクトを使って作品の見栄えを 良くするつもりが、ついつい色々使いすぎて、出来上がったら 何が何やら、みたいな話は昔からよく言われていましたし、 それは今も変わっていないでしょう。
そして目的が変われば手段も変わる。エフェクトを使って 表現したい事があるからそのエフェクトを使うのだ、という 目的がハッキリしているなら、前述のような作りの動画は 正しく作られていると言えるし、そこでエフェクトがたくさん 使われている事は(好みはあるにせよ)それ自体がすぐに あれこれ言われるべき事由にはならないわけです。
今から作ろうとしている動画で、自分は何がしたいのだろう。
バカバカしいくらい単純な話だけど、改めて考えておきたいなと。 目的というのは大抵「あれもこれも」と欲張ったらぼやけちゃうので、 絞り込んだり優先順位をつけたりして整理して、それからその目的を 達成するための手段を選んでいく。
より多くの人に見てもらいたい、というのもその一つだし、 数字はともかく自分がやりたい事をやりきるというのもあるでしょう。 あまり表に出すと角が立つけど、あの人よりいいものを作りたい、 という対抗意識だって全然アリな話です。あるいは単純に 作る事そのものが目的になったって構わない。
そして目的を明確にして手段を選んでいく。 どうしても必要だと思えば、その時点で自分が出来ない事でも トライしていかなきゃいけないし、どうにも難しい場合は 別の手段、あるいは目的自体も考え直す必要があるかもしれない。
そしてもうひとつ、その目的は何をもって達成されたと判断するのか、 その基準をしっかり自分の中に設けておく事も大事でしょうね。 数値で測れるものでも、他の人の反応でも、自分自身の達成感でも、 場合によっては完成する事自体かもしれない。
目的があり、手段があって、達成を目指す。 某サイトを見ている人なら、この言葉を使っただけで 私が某立喰師な映画監督信者である事がバレますが(笑)、 自らの「勝利条件」を達成するため、その目的は、その手段は、 達成の判断基準は、果たして適切なのかどうか。 毎回そんな事を考えてたら気が滅入ること請け合いですが、 時にはそういう事を考える必要もあるのでしょう。
随分と抽象的で当たり前の事を書いている気もしますが、 実はそんな当たり前のことが揺らぐケースは決して珍しくない。 だから「帰るべき初心」の一つして、改めてこんな風に文章にしてます。 多分「目的のための手段」が「手段それ自体が目的」になると どんなにその手段を効率的に、上手にこなしたところで意味はないし、 当然「勝利条件」だって達成できない、と。
話がぶっ飛びますが、平野耕太の「ドリフターズ」って漫画で すごく興味深いシーンがありまして。強大な力を持った敵(ジャンヌ)と 対峙した主人公(島津豊久)が、相手を評するこんな場面です。 改行や句読点、漢字の使い方など原文とはちょっと違うのでご承知置きを。
彼奴のアレは己が手に入れた力を誇るというか、 どこかの誰かに見せつけている様じゃ。 『我、斯様(かよう)な力をば得たり。我を見よ。我を見よ。』
力を用いて敵を討ち取る事以上に、その力を誇示する事自体が 目的になっている、と看破するわけ。だから一言続けるに、
素人じゃ。突出する初陣首じゃ。 (その首を)掻き取るのは、たやすか。
となる。手段そのものが目的となってしまった相手など 全く恐れる事はない、という事なのでしょう。
なんというか、よくわかる話のような気がします。 そういう事って動画の話に限らず無い話ではない。 なにがしかの効果を狙ってやったスタンドプレイが、 空回ってたり上滑りしてたりする事って、いろんな局面で あったりするからねぇ。場合によってはそれが あまりいい印象を他人に与えなかったりもするわけですし。
「わかってやってるからいいんだ」という理屈も 決して間違ってないけど、それでも一度ちゃんと立ち返って、 自分の手にあるものを見つめなおすのが大事なんでしょうねぇ。 もし伝えたい事がそこにあるのなら、なおの事。
自戒の念も込めてそんな事を考えました、というのが 今回の文章の内容。ご存知の通り赤ペンは スタンドプレイがとーっても好きだからねぇ。
そしてその端緒となったのが冒頭に書いた例のアニメだったわけで、 そうなれば私が当初どんな感想を抱いたのかは予想がつくかと思います。 今は2話まで進んでいるのでまたちょっと違う感想もあるんだけど、 ともあれ見た目や内容以上に、こういう事の方が気になったなぁ。
あとね、20選で選んだ0707メドレーを直近で見たせいか、 グループ魂の「パンチラオブジョイトイ」を思い出したわ。
別にヤマカンが見てぇんじゃねぇ! 俺は「Wake Up, Girls!」が見てぇんだよ!
その責任の所在はここでは問いません。 見たい度合いやその理由、実際の内容も問わない。 とにかく、こういう状況なんだよなぁ、と。
そんな感じで特に書く事も無かったので、 ちょっと捻って文章を引っ張り出してみました。 さて次は何をキッカケにしてエントリを書こうかね…。
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