赤ペンPの添削日記
由無し事を徒然に書き連ねる日記。
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偉そうに自分史を振り返る<その1>
今年の夏で、ニコマスPとしてまる6年です。

この先は恐らく、瞬間的にはともかくとして
全体的にはペースを落としての活動になるだろう、
という趣旨の話は、これまでにも随分してきました。
別にネガティブな話があるわけじゃなく、
長く続けてきた帰結、ってやつです。

で。
6年目を迎える前に、今までの赤ペンPの活動を
年ごとに振り返ってみようかなー
と考えました。

…すっかりフェードアウトする人っぽい感じがして
アレですが(笑)、思いつきで試しに箇条書きしてみたら
自分でも気づかなかった流れみたいなもの、
明確な転機となる時期や出来事が見えてきて、
改めてしっかり自分の足跡を振り返っておこうかな、と。

各年ごとにトピックスを箇条書きして、代表作として
このエントリを書いた時点で5ケタ再生を記録している、
その年に作った私の動画を挙げていきましょう。
それ以降の文章には、ここで以前から書いている事が
かなり含まれていますのでご承知おきください。

まずはデビューしてからの2年少々について。


2007年
・8/19デビュー
・借り物Pとして初めて触れる動画編集ソフトに
 四苦八苦しながら制作
・ブログ開設がキッカケで名前を覚えてもらいはじめる
・代表作…「恋愛症候群」



さて、デビュー年は実働4か月の「下積み期間」
借り物Pとして映像素材をStage6からお借りしつつ、
右往左往しながら動画を作っていた時期です。

この年の10月に作った「恋愛症候群」が、現在に至るも
赤ペンP動画における再生数・コメント数・マイリスト数の
三冠王であり、オールタイム赤ペンP代表作だと思うんですが、
どう考えても、これはラッキーパンチだったんだろうと(苦笑)。

今だから話せる?裏話。

「恋愛症候群」って、実はUP直後のニコ動ランキングで
100位付近まで来たところで、ランキングの表示不具合があって
そのまままったく順位が上がらず時間が過ぎていったんです。
それがなかったら何位くらいになったのかは何とも言えませんが、
今でいう総合ランキング的なものしかなかった時代ですから、
少なくともこの時点で、もっと多くの人の目に触れたんでしょう。

そうしたらもっと早くに名前が売れたのかなと思いつつ、
でもこの時はこれで良かったのかも知れません。
どう考えても動画の腕が追い付いてなかったもの(笑)。

その代わりといってはなんですが、このブログを立ち上げて
クソ長文を書き殴ってたら、それで名前を覚えてもらえるように
なりました。昔からよく言っている「セルフプロデュース」ですね。
ニコマス黎明期の間隙を縫った感は否めませんが、動画に関しては
素人同然だった自分が、名前を覚えてもらうために何ができるのかを
考えた結果の一つが、功を奏した格好なのかなと思います。


2008年
・自撮り環境の整備とソフトのアップグレードを行い
 本格的に動画制作取り組み始める。
・コミュを使って動画にストーリーを持たせる作風が確立
・ブログに飽き足らずインターネットラジオでも喋り始める
・代表作…「ハナミズキ」「道化師のソネット」



この年も下積み期間ではあるんですが、さすがに1年やってると
それなりに上手くなっていくし、環境も整えたくなるわけで。
一応、事実上のスタートがこの年って事なんでしょうかね。

今に至る作風が「ハナミズキ」や「道化師のソネット」で
具体的な形になってきます。視聴者の方はもちろん、自分自身でも
「赤ペンPはこういう動画を作る人なのね」という事がわかって
方向性が定まってやりやすくなっていく感じでしょうか。

で、調子に乗って無印アイマスの全アイドルのコミュ映像を
撮りためて行くようになったわけです(笑)。

借り物Pだった頃の私は、
「自撮りができる人なら贔屓のアイドルのコミュくらいは
 映像素材として押さえてるんじゃないか」
という勝手な思い込みをしていたんですが、いざその質問を
知り合いにしてみると、それほど同意されなかったわけで。

じゃあこれをやろう、と思ったわけですね。
動画の技術なんてたかが知れている私が、他の人と
差別化を図るためにできる事
かな、って。

当時流行っていたインターネットラジオに手を出したのも
ブログを書いているのと趣旨は同じであり、これまた
セルフプロデュースの一環でした。幸いな事に
人前で喋るのは好きだったし慣れていたし、だったらそれも
名前を売るために利用してしまおう。

当時の行動原理は、動画にしてもそれ以外の事にしても
基本的にはそんな感じでしたね。


2009年(~10月まで)
・ニコマスのイベントのお手伝いをする機会が増え、
 裏方としての活動も認知されるようになる
・NRRRに顔を出し始める
・9月に初めて週マスにランクインする
・代表作…「明星」「愛をこめて花束を」



動画を作る赤ペンP的に大きな転機があったのはこの年。
「明星」で、ついに週刊アイドルマスターランキングに
ランクインをする事ができました(11位)。
デビューしてから2年超を経ての初ランクインは、
当時としてはたぶん相当に遅咲きの部類ではなかったかと。

この年はそこに至るまでにいろんな事がありました。
上半期は様々なイベントの運営に参加。
新年会のカクテルvsMSC、シネMAD2nd、カクテルSP。
それらが終わり、卓球PのNRRRに初めてお邪魔したのが
この年の5月。これも一つ大きな出来事ですね。

また、7月の誕生祭で作った「愛をこめて花束を」は
あずささんの誕生祭動画としては自分の中でも一番の、
誰にお見せしても恥ずかしくないものができたと思っています。
前年の「ハナミズキ」もそうでしたが、誕生祭の動画は
そういうキッカケになっていることが多かった
ですね。

そういう諸々を経た9月に「明星」が生まれた、と。
大仰な言い方を敢えてすれば、「前期赤ペンP」の集大成。
前期とか後期とか絵画かよ(笑)。

で、ちょっと早いんだけど2009年の話は
10月まででひと段落になります。
この頃に水面下で進行していたあずさメドレーと、
11月末に公開されたご存じ「3A07」にまつわる話は
繋がり的に2010年の話に分類するべきかなと。

そしてこの文章もここで次回に続く。
普通ならここまでが前編で次が後編、となるんだけど
2010年はアイマスにとってはもちろん、私にとっては
それ以上に重要なターニングポイントとなっているので
ここだけ独立して扱います。

だから次回は「中編(あるいは特別編)」という事で。
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Author:赤ペンP
都内某所に潜伏し、ひっそりアイマスMADを製作中。表向きはうだつの上がらないサラリーマン。人生のモットーは、なだらかに昇りなだらかに落ちる放物線。

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