赤ペンPの添削日記
由無し事を徒然に書き連ねる日記。
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憎まれ口も後世にはばかる・・・のか?
時折このブログでも触れるんですが、赤ペンの中の人は
西洋絵画の鑑賞が隠れた趣味だったりします。
多分意外な趣味だと思われるのは承知してますが(笑)。

一口に西洋絵画といっても様々なんですが、
私がこの分野に興味を持つキッカケとなった本の影響で
印象派の登場を中心軸にして「それ以前」「それ以降」という
切り口で捕らえる見方をしていることが多いです。
割とスタンダードなスタンスだと思うんですが、どうなんだろう。

さて置き。
有名な話ですが、この「印象派」という名称は
最初は批判的な言い回しだった、という説がありましてね。


ちゃんと説明しようとするとまた長くなるので
超絶に端折って説明すれば。

要するに印象派が出てくる前の絵画っつーのは
キッパリハッキリとした形態を持っていました。
そこに印象派が持ち込んだのは、光の表現という概念。
そこでは形態は必ずしも重視されない。

現代に生きる我々が見れば、それは普通に絵に見えます。
でも当時の人からすると、到底絵には見えなかったかもしれません。
模様みたいに映ったのかもね(笑)。

さて、当時は絵を描いて名前を売るには、権威のある展覧会に
応募し、審査を通らなければいけませんでした。
で、出品しても普通にその絵は落とされる。そりゃそうだ。
当時の価値観から言えば彼らの絵は邪道も邪道ですから。

なので彼らは考えた。展覧会に受からないのなら
自分たちで展覧会を開けばいいじゃない!

この辺は「会社に受からなかったので自分で会社を設立した」
という、ドラえもんが来る以前ののび太を彷彿とさせますな。

こうしてアンデパンダン展(サロン・デ・ザンデパンダン)という
「出展に際して審査なし、千客万来」の展覧会が
開かれる事になります。これ以降この展覧会は、
そうした革新的な絵画表現を目指す人たちの
総本山みたいな場所になっていくんだけど。

その第一回の展覧会に並んだのが、
後に印象派と呼ばれる画家たちの絵の数々でした。
モネ、シスレー、ピサロ、ドガ、セザンヌ、ルノワール。
ここには、後に違う道を歩む事になる人も
含まれているんですけどね。

その展覧会、普通に見に来るお客さんもいたんですが
当時はまだ認められていない革新的な試みの数々ですから
奇異の目を向ける人も少なくなかった。
そんな人の中に、この展覧会を取材しに来た
一人の新聞記者がいたんです。

この絵画たちを見て彼はどんな記事を書いたか。
disった。ハンパなくdisった。
ファ○通で2点か、はたまた某メタル系雑誌の
レビューにおける20点台(もちろん100点満点で)のアルバムか。
「こんな絵を見てたら俺は倒れちまうぜ」と、
盛大にdisりまくったわけさ。

そのときの記事の題名が
「印象主義者たちの展覧会」
であった事から、後に彼らには
「よくわからない絵を描く『印象派』の人たち」
というレッテルが貼られ、気がつくとそれは
スタンダードな名称として定着した、と。

ちなみに、この展覧会はその後もdisられまくります。
ある時などは展覧会が開かれた場所が名指しで
「この街は不幸に見舞われた!」
まで書かれる始末(笑)。

他の説では、モネが描いた「日の出」という絵があって、
「なんかそれじゃ寂しいからもっといい題名にしてよ」
とカタログ担当に言われて、当のモネ自身がサクっと
「じゃあ"印象"って頭につけといて」
と言った、というエピソードが起源というのもあります。

いずれにしても、現代まで定着するくらいだから
悪意を持ってdisってても、思いつきの言葉でも、
その切り口や捉え方は的外れじゃなかったわけですね。

絵画の世界には、こんな具合で名前のついたグループって
結構あるんですよね。フォービズムもその類だし、
素朴派ってのもちょっと上から目線だよなぁ。
キュビズムもそうなんだけど、ある意味この世界は
「派閥は叩かれてナンボ」みたいな面もなくはない(笑)。

言うまでもありませんが、印象派として知られる画家は
自分がそう呼ばれていることをほぼ知らなかったはずです。
少なくとも自分で自分をそう呼ぶこともなかったでしょうし。

ただ、もし彼らがその事実を知ったら、どんな風に感じるのか。
そこはちょっと興味があるかな。納得するのか怒るのか。
それとも、まるで無頓着だったりして。

こんな具合で、自分に貼られるレッテルってのは
なかなか思い通りには出来ないものです。
貼る人の論理もあれば、それを認識する人の論理もあるしね。

このブログなんかでよく「セルフプロデュース」の話を
持ち出したりするんですが、それはニコマスに限らない、
私自身にとってのテーマみたいなものだったりします。

自分という人間をどう見せたいのか。どう見られているのか。
その辺を全て自分の思い通りにコントロールするのは
たぶん不可能だけど、それを意識していれば、
何かをするときの目安にはなるだろうしね。

そのキッカケがどこにあるのか。
まぁ、それがわかれば苦労しないんだけどさ(苦笑)。
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Author:赤ペンP
都内某所に潜伏し、ひっそりアイマスMADを製作中。表向きはうだつの上がらないサラリーマン。人生のモットーは、なだらかに昇りなだらかに落ちる放物線。

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