赤ペンPの添削日記
由無し事を徒然に書き連ねる日記。
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スニーカーの紐を締めなおして
前回の続き。
それにしても久々にめぐさんについて語ってるなぁ。
さて、流れ流れてようやくラジオの話だ。

今を遡る事、15年以上前の話になります。


「林原めぐみのハートフルステーション」
ラジオ関西をキーステーションに放送されている、
昨年11月に放送回数1000回を越えた超・長寿番組です。
1991年の放送開始から20年。正直ビックリだわ(笑)。

半年遅れで開始した姉妹番組的存在である
「林原めぐみのTokyo Boogie Night」も、今年の夏で
放送1000回
を迎えます。どっちも初めて聞いた時は
10代だったなぁ・・・(遠い目)。

この2つの番組のDJを務めている事で、めぐさんは
ラジオの賞を貰っていたはずです。元はと言えば
キングレコードの番宣・販促の枠だったはずなんだけど(笑)。

さて、今回の話はハートフルステーションについて。
一時期はTBSラジオでも放送していましたが、基本的には
神戸を中心とした関西エリアでしか聞けない番組でしたので、
関東のファンは土曜の23時になるとラジオをベランダに置き、
雑音交じりの放送を必死になって聴いていました。
通称「雑音リスナー」というヤツです。
私のラジカセはこれの影響で寿命を縮めました(笑)。

それが縁だったのでしょうか、めぐさんが発表する
アルバムの特典としてついてくるブックレットの写真撮影が
ラジオ関西がある神戸で行われた事がありました。
それが1994年の年末の事です。

そのアルバムの発売を春に控えつつ、この番組は
年を越して、1995年1月17日を迎えたわけです。

阪神・淡路大震災。

その週末。1月21日、土曜日の夜。
つい、いつもの癖でラジオを屋外に出したところで、
「ああ、さすがに今週は放送はしないよな」
と思い直し、室内に戻ろうと思ったんですが、
一応ラジオのスイッチを入れてみたんですね。

23時。それまで流れていた安否確認や
被災地域に関する情報番組が止まって、
耳慣れた番組のテーマ曲、「虹色のSneaker」の
イントロが流れてきたんだ。

唖然としました。

この番組は、キーステーションこそラジオ関西ですが
収録はスポンサーであるキングレコードが行い、
その音源のみをラジオ関西から流していました。
放送局のスタジオを使っていたわけではないので、
番組制作に支障はないわけですが、この場合、
そういう理屈の問題じゃないですわな。

さすがに番組は震災に配慮した内容で、CMは一切入らず
通常のコーナーも全てカット、曲とトークだけの編成でした。

さて、赤ペンはこの事実を持ち出して、
彼女をマンセーしたいわけじゃないのね。
むしろ当時、私はすごく複雑な気分で
この放送を聞いていました。


そりゃそうだよ、震災直後の被災地において、
ラジオというメディアがどんな役割を果たすのか。
被災された人たちが、今どんな情報を欲しているのか。
そういう時に、何を放送するべきなのか。

ましてや――ちょっと卑下しすぎかもしれないけど(苦笑)――、
世間的に名の通った有名人ならともかく、売れっ子とはいえ
アニメの声優という「知る人ぞ知る」というか、もっと言えば
一般的には「誰それ?」みたいな立ち位置の人ですよ。
流す曲にしたってアニメの主題歌とかばっかりだったし。
そりゃ娯楽だって必要なのかもしれないけど、ねぇ。

そういう事を考えると、例えファンでも・・・いや、
ファンだからこそ、手放しで素直には喜べなかった。
「これでよかったんだろうか」みたいな、
要らぬ心配までしてしまったりしてね。

同じファンの仲間内の会話でも、この件については
あんまり深く掘り下げるような事はしなかったなぁ。
それぞれ、いろんな考えがあったんだと思います。

唐突に、それから何年か後に話が飛びます。
今で言うところのオフ会みたいな場所で、
最近ファンになったという人と
お話をする機会があったんですが。

神戸出身のその人が林原めぐみを初めて知ったのが、
避難所で聞いた、この放送だったんだそうです。

聞いていたラジオから突然番組が始まって、
誰だかわかんない女の人が喋ってて、
聞いた事のない曲ばっかりが流れてて。
それでも良かった。ホッとした。そう言っていました。

その後生活も落ち着き、そういえばあの時の
ラジオの人は誰だったんだろう?という事になり、
今、こうしてこの場にいます、と。

みんな、リアクションに困っちゃってねぇ。
で、この人が笑いながら
「アレさえなければ一般人として生きていけたのに」
と、さらにツッコミづらい話に持っていって(笑)。

まさしく最近、我々はこういう状況
目の当たりにしたわけですよね。
不謹慎なのかそうでないのか、みたいな。

唯一無二の正解があるとは到底思えません。
私の感じ方も、この人の感じ方も、あくまで
それぞれの立場にいる人の、ひとつの意見でしかない。
でも、それぞれの立場にいる人の、紛れもない
ひとつの事実でも、あるわけで。

それ以上でも、それ以下でもない、という事。
多分それが唯一、間違いのないことなのかなぁ。
自分の考えが全てではないのだと、それだけは
常に覚えておくべきなんだと思う。

いずれにしても、こういう事と向き合った時、
自分なりに何かを考えるひとつのキッカケとして
これが忘れがたい思い出である事だけは、確かです。

さて、時計の針を1995年に戻しましょう。

この年の3月、震災直前の神戸の風景を収めた写真集を特典とした
林原めぐみ6枚目のベストアルバム「Enfleurage」が発売され、
その最後の曲として、唯一どの作品ともタイアップしていない
書き下ろしのオリジナル曲として収録されたのが、



本来、震災とは全く関係なく作られていた、この曲でした。

いつかまた、あの街へ出よう。
元気を取り戻した、神戸の街へ。


諸々のエピソードと共に、いつしかこの曲は
復興を目指す神戸への応援ソングとなりました。
とりわけ当時を知るラジオのリスナーにとっては、
今も思い入れの深い曲として認識されています。

この曲を、こういう状況で、今聴くという事。
その意味については、もう書かなくてもいいかな。
もちろんこれも「感じ方のひとつ」でしかありません。
それでも、やっぱり色々感じたり考えたりしちゃいますね。

さて、せっかく作品を貼ったんだから、ニコマス話も少々。

ニコマスPとしての赤ペンは、もちろんありすえPは
存じ上げていましたが、特別に好きな作り手さんだったと
いうわけではありませんでした。
ただ、この曲で作ってくれた事が、すごく嬉しくて。

それまでは「めぐさんの曲で動画を作る」という思考が
どこにもなかったんですけど、この動画を見て
自分でもやろう!と思い立って、



というのを作ったら、ある人がもの凄い勢いで
食いついてくれて、それがキッカケとなって
2007年の末に「Megum@s」という、めぐさんの曲を使った
動画を上げるお祭りが開催されました。
いわゆるタグロック系のお祭りの初期の頃ですね。

その主催者の方が、久々に顔を出してくれました。
お久しぶりです!あの時は色々お世話になりました!!

おきな。P


また、このお祭りでデビューをした方々が、
「自分達って同期デビューになるんですよね」
と語った事がキッカケとなり、それが一気に広まって
「○○年△△月デビューP」という考え方
定着した、そういうエピソードもあります。
私も自分のデビュー月のまとめをして1枚噛んでたりします。

まぁ先日の生放送でお話したことの焼き直しではあるんですが、
そんな思い出話を長々と書いてみました。
長くやっていると、いろんな事が巡っていくものなんだね。
そんなことをしみじみと思う今日この頃です。
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Author:赤ペンP
都内某所に潜伏し、ひっそりアイマスMADを製作中。表向きはうだつの上がらないサラリーマン。人生のモットーは、なだらかに昇りなだらかに落ちる放物線。

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