赤ペンPの添削日記
由無し事を徒然に書き連ねる日記。
09 | 2017/10 | 11
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つまりは、貴方の祈りを。<その2>
前回の続きです。

どきゆりP


この動画を私は
「律子」「部屋」「寿司」の三題噺と考えています。
ただ、もしそれだけだったら前回の最後に書いたように
「それを書いただけの絵(動画)」って事で終わるわけで、
でもこの作品、どう見ても「それだけ」の動画じゃないわけで。

これが実際の落語の三題噺であれば、演者が頭を捻って
関連性のない3つのお題の繋がりを即興で考えて
オチまでつけて演じるところですが、これは絵であり、動画。
そこが曲者なんでしょうね。

赤ペンは今まで、文章としてわかりやすくするために
お題を省略して簡単な単語で書いてきました。なので改めて、
「私が感じ取った3つのお題」を、ちゃんと書いてみましょう。

それは、こうです。

「アイマス2の、プロデューサーをやってる律子」
「誰もいない殺風景な、恐らくは社宅か何かの部屋」
「近くのスーパーかコンビニで、お買い得価格で買ってきた寿司」


・・・ほーら、あっという間にきな臭くなった(笑)。


私が今挙げた解釈は、あくまでも私が勝手に頭に思い描いたイメージ。
だからこれを見て納得する人も、納得しない人も等しくいるでしょう。
もうこの時点で、既に下ごしらえは十二分なんですが、
もうちょっと話をちゃんと進めてみよう。

確かに「律子が部屋で寿司を食う」というワンフレーズで
この動画の状況説明は全て出来ちゃいます。そうだよね?
目に見える部分だけで言えば、それだけだよね?

じゃあ訊くけどさ。
なんで寿司なの?どうして律子なの?何故部屋で?


落語における三題噺は、関連性の無いファクターをその場で
上手い事関連付けて話を組み立てるところに面白味がある。
ところがこの動画には、それが一切無い。ただ時間が流れるだけ。

試しに、ちょっと違う言葉を使ってみよう。
絵画的に「モチーフ」とか「主題」なんてどうですかね?

この動画には、これ以上ないくらい明確なモチーフがあります。
律子と、部屋と、寿司。一番目立ってるのが、この3つ。
でも、ここに主題は無いんだ。もしくはあったとしても
それを見せていない。少なくとも、「こう見て欲しい」という
要求が、動画の側からは一切無い。感じられない。

だから、このシチュエーションに「なぜ?」と理由を求めた瞬間、
全てが瓦解するわけさ。ニコマスの動画に限らず「普通の作品」は
何故そうなるのかが作者の頭の中にあり、それを丁寧に積み重ね、
時にそれを明示し、時にそれを隠しながら見る側を引っ張るもの。

でもこの動画は、そこに理由が無い。見る人を引っ張らない。
この独特なタッチの絵もあいまって、見る人が「吸い込まれる」。
そこに何が生じるかといえば、

不安。

例えば描かれている絵に欠落がある、あるいは余計な何かが
付いている、という具合に、明確な原因を求める事の出来る
即物的な何かによってもたらされる不安感ならわかりやすい。
あるいは、イヤな例えになるけど、自分の好きなアイドルが
そこに血まみれになってるとか、そういう生理的な嫌悪感や
不安感を呼び起こすものがあるなら、これもわかる。

でも、ここにある不安は、見えている部分に限っていえば
欠けてるものも余計なものもない、何ひとつ間違っていない、
恐らく嫌悪感の対象もない、だからこそ生まれる不安。
せっかくだから絵画で例えれば、ムンクの「叫び」とか、
そういうタイプの、えも言われぬ不安。

で、そんなものに直面した場合に、人は何をするか。
その不安を埋めにかかるわけ。それも即物的な部分で
埋める場所がないから、意味的に埋めようとする。
そこに存在しない「理由」を、「主題」を、「話の筋立て」を、
自分の経験則や感覚で作り出して、納得しようとする。

この作品。
恐らくどきゆりPは、必要最低限のことしか考えてないよ。
そう感じました。

もちろん1枚1枚の絵について、あるいはそれが映像になった時に
破綻しないようなバランス取りといった事は、当然考えるでしょう。
見る側のフックになりそうなショットやポーズ、画面に出す小物の
選択や配置とかも、もちろん考えてると思う。
あの座り方、空っぽの醤油差し、最後までエビを残す食い方、など。

でも、その全てを関連付けて、流れの中で繋ごうという発想は、
きっとしてないんじゃないかな。部分的には繋がりますけど。
つまり、答えがないの。少なくとも明示はされてない。

だってシュールレアリズムに触れてるような人ですよ?
作り手の主観や考えを排除して作られたものに意味を見出す、
そういう価値観を持っている人なのだとしたら。

これがダリとかエルンストみたいな芸術家が作った
「シュールレアリズム芸術としての作品」だったなら、
まだ逃げ道はある。「ワカンネ」の一言で事足りる。
理由をつけて欠落を埋める作業を放棄できる。

でも、ここにいるのは正真正銘、秋月律子なわけだ。
アイマスなわけだ。そうしたら放っておいても本能的に
欠落を埋めたくなる。逃げられるわけが無いよ(笑)。

こうして、
「とにかく凄い事は間違いないんだけど説明しづらい作品」
が、この世に生を受けるわけです。
そりゃそうだ、みんな好き勝手にこの作品を「作ってる」んだもの。
1000人がこの作品を見れば、1000の物語がそこにある。
自分と同じ感覚を、他人が共有できる保証なんてないじゃない?

唐突に、自分語りになります。

客観的に見て赤ペンPという作り手は
映像的、あるいは視覚的な意味において、
見る人を問答無用で惹き付ける事の出来るような
絶対的な技術論なり方法論はあまりありません。

なのでそこを補うために、アイディアを形にする際に
相対的な部分を活用した作品作りを模索する事になります。
簡単に言えば、見る人の中にある意識や記憶、印象を利用する方法論。

ケースバイケースなので細かい説明は割愛しますが、
それこそ昨年後半の私の作品で言えば、
「Believe In Love」にしろ「Are you gonna be・・・」にしろ、
見る人の中にある「やよいおり」なり「竜宮小町」への
思い入れや考え方を意識して、そこに対して曲や動きで
切り込んでいく構成
を考えるようにしていました。

その観点からすると、どきゆりPの作品は
見ていてものすごく参考になるし、勉強になります。
最終的な完成形は違う方向を向いたとしても、
見る人に考えさせるために用意されたフックとか、
その為に準備する間の長さとか、見るべきところがたくさんあって。

何よりこうやって長文が書けるってのは、いいですよ(笑)。
たった1作でそれだけ頭を回せるんだもの。楽しいよ。うん。

・・・うーん、つまり、まだ書き足りないみたい(苦笑)。
っつーか、読む人が読めばこの発想の原典は明確すぎるので
逆に恥ずかしかったりするんだけど(笑)。

次回で最後にします。せっかくなので、
そんな物語のひとつを例示してみようかなと。
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Author:赤ペンP
都内某所に潜伏し、ひっそりアイマスMADを製作中。表向きはうだつの上がらないサラリーマン。人生のモットーは、なだらかに昇りなだらかに落ちる放物線。

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